五節供の取り組み推進に向けてのキックオフ講演会

五節供の取り組み推進に向けてのキックオフ講演会




4月26日 富士ソフトアキバプラザで開催された
和食文化国民会議の
「五節供」の取り組みに向けてのキックオフ講演会に参加しました。
和食会議の新しい活動として「五節供」への取り組みが始まりました。


まずは五節供への理解を深めるところから。。。

「節句の由来と食文化について」

神崎宣武先生(旅の文化研究所所長)の講演から始まりました

日本での節供とは
古来から「せち」「おりめ」等という行事があった
そうした折り目には神々に供物を捧げ神人が供食してきた
その時の供物を「おせち」という
これは農作業のスケジュールと関連している

ところでお節を捧げる田の神様には社が無い

それは山の神様にパートタイムで里に下りてきて頂き
農作業を守って頂いているという事
お正月になったら年神様として山から里に下りてきてもらい
収穫の終わる9月はじめの八朔まで里におられる
9月には田んぼの水が引け
後は収穫を待つばかりということで
神様は山に帰って行かれるという

(このとき一部の神様が里に残っていらっしゃる
それが、一家の大黒様と呼ばれるつまり「嫁」
その家を守り子孫繁栄し続いていくためには
大黒様である主婦を大切にしていたようです)

では山の神様は何祈って里まで下りてこられるかということで
北関東ではゆずり葉
(今でもしめ縄にゆずり葉をはさむ地域がある)
西日本では松
松おろしといって
一家の主人が山に行って松を取ってきて
玄関先に置く..ここから門松という習慣が始まる

門松を立てないまでも
印刷した松でも玄関に貼る習慣はあると思う

やっているが、その意味を説明できる人が少なくなっている
単なる行為としてだけでは伝承も滞ってくる

何故その行為をしているのか
理解して、
そして子ども達や
日本に関心を持ってやってくる外国人に
説明していく必要がある

その一環が和食会議のプロジェクトである「五節供」である
このプロジェクトを通じた和食会議の狙いが理解できました


五節供は中国から伝来してきたもので
中国では奇数は縁起の悪い数字と考えられていたため
1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日は奇数の重なる
「忌み日」として、祓いを行う日であった

日本では宮中に伝わり
江戸時代には参勤交代で江戸に上がっている大名が
登城して祝賀を催す日となっていった
また、この頃、その習慣が庶民にも伝わり
特にひな祭り端午の節句、七夕が変化して今日に至っている

という事でした。
さらにおせちについて

おせちは旬の料理と酒のこと
折り目節目を無事に越すためには
生命力を秘した食べ物を神と共に食べた
日本ではそれは旬の食材で手間をかけた餅と
さらにもっと手間をかけた酒
(さけの「さ」は最も清らかという意味で「け」は食べ物という意味)

一月一日 人日・・・・七草粥、餅粥   屠蘇
三月三日 上己・・・・草餅        桃酒
五月五日 端午・・・・ちまき、柏餅   菖蒲酒
七月七日 七夕・・・・・・・・・・
九月九日 重陽・・・・団子        菊酒


七夕に餅も酒も無いのは腐りやすいからかな?
九月の団子は、この頃は米びつに残っているのは
収穫前の割れたりした小さな米ばかり
という事ですりつぶして団子にしたのでは、とのこと

また、酒に桃の花を浮かべたりするのは
酒に旬のパワーを加えた物と考えられており
鰯の頭も信心から
現代では、こぞって皆が買うコンビニのドリンク剤と大差なし
だそうです。。。

子どもには酒の代わりに、甘酒などの飲み物に
花びらを浮かべて楽しむなどを取り入れて伝えていく

ざっくりとこんな内容でしたが
一つ一つかみしめるようにお話しされて
感じ入りながら拝聴いたしました
もっとお聞きしたい!!
終わってからそう感じました。




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